なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

真夏の夜の悪夢

ここんとこのレノファはお盆をはさんでホーム2連戦。


まずは8/12(日)の徳島戦ですが……

終了間際にまさかの「やっさんゴール」で追いつかれ
思わず「アッーー!」と声が出てしまうような、敗戦に等しいそんな引分け。


次いで8/19(土)の京都戦……

決まってもおかしくないチャンスを作れてたのに
やられた気のしないゴール2発を決められ「たまげたなあ」と言いたくなるツラい敗戦。


これでシーズンの3分の2に当たる28試合を消化し、
6/16(土)以来2か月にわたる「勝利なし」が続いてます。
まさに「真夏の夜の悪夢」と呼ぶべき状況。


というわけで、この悪夢の原因をみてみるため
得点&失点の推移をグラフ(5試合移動平均)にしてみました。

グラフをみると「勝利なし」期間中も得点はそこそこ取れてるんですが
失点は平均2点以上を長期にわたって超えてしまってます。
現にここ9試合は複数失点継続中(; ・`д・´)


ちなみに昨年2017年は開幕から全然得点がとれず
ジョール体制になって得点は増えた一方で
失点も一時は平均3点を超える勢いだったんですが
最後は謎の堅守で残留を決めたのでした。


一昨年2016年は後半勝てない時期を迎えたものの
失点面では一貫して平均2点を超えることはほぼなく
意外と安定したシーズンを送ってたんですね。


28試合終了時点での得点&失点を直近3シーズンで比較してみると……

  • 2016年 41得点42失点 12勝6分10敗(勝点42)
  • 2017年 30得点42失点  6勝4分18敗(勝点22)
  • 2018年 47得点46失点 11勝10分7敗(勝点43)

得点も失点もJ2昇格後の最多を記録してます。
なんと残留を争ってた昨季よりも今季の方が失点多いんですね。
今季のレノファは攻守一体サッカーを目指してますんで
失点を減らすには守備だけを固めるんじゃなくて
効果的な攻撃を展開する、ってとこもセットになってくる。
そーなると中央のトライアングルは三幸&前ちゃん&丈二で固めるのがベストなんちゃうかなー
みたいなことも頭によぎったりする今日この頃ではあります。


確かに今はとても苦しい時期ですけども
この長いトンネルをくぐり抜けたときの歓喜をチームと一緒に味わいたい!
という気持ちで地道に応援していきたいものですね。


明日8/26(日)の大宮戦は、レノファ史上初めて埼玉県内で迎える公式戦。
そう、レノファ埼玉初上陸なのです!
我々留守番組としましては、現地応援におもむく大勢の仲間たちに「オナシャス!」と気持ちを託し、
DAZNを通じて野獣のように強い念を送ることといたしましょう。

菩提の道場〜愛媛遠征に行ってきた

こないだの8/4(土)
愛媛までレノファ応援に行ってまいりました。

ニンスタに来たのは確か20年ぶりぐらい。
サンフレッチェ対どっかの天皇杯を見に来たことがあります。



いよいよ試合開始。
ここんとこ勝ちのないレノファは
どうにか先制して主導権を握りながら試合を進めたいところ。
キックオフからガンガン攻撃をかけて愛媛ゴールに迫ります。


しかしまたしても「魔の10分台」に失点。
愛媛にサイドからきれいに点を決められてしまいました。
するとレノファはすぐさま3-4-2-1陣形へと変更。
愛媛とのミラーゲームに持ち込みまずは同点を狙います。
決まってもおかしくないチャンスを数回つくって前半終了。
早い時間に追いつきさえすれば勝機は十分あるで!
ちなみにレノファサポが飛び跳ねながら応援してると
スタンドが震度2ぐらいで揺れ始めまして、ちょっと怖かったかも




今日の勝利つかみとろう!
後半入ってすぐに何度かチャンスをつくりますが決めきれず。
時間がたつとともに守備を犠牲にして攻撃に重点を置いていかざるを得ないレノファ。
そしてそのスキを突いてくる愛媛FC
後半23分、見事な攻撃で追加点を奪われ一気に苦しくなりました。
レノファは強引に攻撃を展開し幾度となく愛媛ゴールへ襲いかかっていきましたが、
時間の経過とともに疲労の色も濃くなってゆき、
雑なプレー連発でそのままゲームエンド。



相手に負けたというより自分たちに負けたレノファ。
この試合はまさに自滅負け。


自滅といえば我々レノファサポも良い応援ができてませんでした。
ちょっと審判や相手への文句が多すぎでしたね。
もちろん「文句を一切言うな」なんてことを言うつもりはありません。
むしろスタジアムって(普段は出せない)感情の発露の場でもあるわけですし。
ただあまりクドクドと文句を言い続けるのはちょっとみっともない。
3秒ルールぐらいがベターなのかも。
判定や相手プレーへの不平不満を口に出すのは「3秒」だけ。
でも「3秒」たったらキレイに忘れて前向きに切り換える。
大事なのはメリハリだと思うんですよね。

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さて、今回はレノファ応援のついでに
愛媛県内をあちこち回ってきたので、その様子を簡単にご紹介しときます。

8月4日05:39 JR予讃線灘駅


「海の見える絶景の駅」として有名な駅。

同日07:53 40番札所 観自在寺


愛媛県で一番南にある愛南町のお寺。

同日09:08 41番札所 龍光寺


宇和島のちょっと北にある旧三間町のお寺。
坂の上にあるので旧三間町の平野が一望できました。

同日09:22 42番札所 佛木寺


同じく旧三間町内のお寺。
山門の向こうで弘法大師がお出迎えしてくれてます。

同日09:49 道の駅みま


三間町はまだ大雨災害から断水が続いてるとのこと。
少しでも支えになればと地元産品を購入。

同日10:13 43番札所 明石寺


西予市宇和町のお寺です。
このお寺にあった夫婦杉。どう見ても細い方が夫でしょ!

同日10:42 ド田舎バス停


途中で見つけた「ド田舎(土居仲)」バス停。

ド田舎の周りは家が立ち並び、意外と町でした。

同日11:55 合格地蔵尊


昨年夏にこのお地蔵さんを偶然見つけ、
息子の大学合格やレノファのJ2残留をお願いしたところ
すべて成就してしまったので、そのお礼参りに来ました。

同日13:33 45番札所 岩屋寺


軽い気持ちで来てみたらものすごい急坂を登らされ死ぬかと思いましたが
たどりついてみると、ものすごい絶景が待ってました。

同日14:45 44番札所 大寶寺


久万高原の町からそう遠くないですが
森の中の落ち着いたお寺。

同日22:33 民宿長珍屋さん


レノファが不甲斐ない負け方をしたので
サポーターであるワタシも罰(連帯責任)としてビールじゃなく発泡酒

8月5日08:35 長珍屋さん発


宿泊した長珍屋さんはお遍路民宿で、とてもいいお宿でした。

同日08:37 46番札所 浄瑠璃寺


この時間からすでに汗だく。

同日08:46 47番札所 八坂寺


山門が屋根のかかった橋になってて、ちょっと『マジソン郡の橋』を思い出しました。

同日09:14 48番札所 西林寺


大きな川なのに全然水が流れてない重信川をわたってすぐのお寺。

同日09:36 49番札所 浄土寺


このお寺に空也上人像があると聞いて楽しみにしてたんですが
お寺の中を見てもどこにあるのかよくわからず。

同日09:51 50番札所 繁多寺


このお寺はちょっとした坂の上にあり、松山市内が見わたせました。

同日10:07 51番札所 石手寺




今まで回った札所で一番さかえてました。

同日10:57 52番札所 太山寺


ここの本堂は国宝らしく見てみたかったんですが
土砂崩れのため本堂は立入禁止でした。

同日11:20 53番札所 圓明寺


街中にあるお寺。雰囲気が16番観音寺に似てました。

同日13:20 防予フェリー


知り合いがむかし柳井で自販機の仕事をしてまして、
船が柳井港に着いて出るまでの20分でフェリー内自販機の商品積替を終えるのはかなり無理ゲーらしく
まれに作業が間に合わずそのまま松山まで行ってしまう人もいたとか。


というわけで楽しみにしてた愛媛遠征もこれでおしまい。
今回はクルマで愛媛県内をぐるぐる回りましたが、
フェリーをうまく使えばチャリでも全然いける遠征先なんですよね。
いつかチャリでニンスタまで行ってみたいものです。

つむがれてきた背番号10の系譜

ながらく欠番となっていたレノファの10番を
池上丈二選手が背負うことになったという嬉しいニュースが発表されました。

前任の背番号10庄司悦大がクラブを去ってから実に1年半。
長き「大空位時代」をへて、ついにその跡目を襲う選手が現れました。
うちのクラブって「背番号10」を大事にしてるんだなーと感じます。


そこで今回は歴代の「レノファ背番号10」を
ふりかえってみることにしましょう。

2006〜2009年 初代10番 MF石上大輔


(写真はゲキサカさんから拝借)
 

リーグ 番号 試合 得点
2006 中国L #10 13 2
2007 中国L #10 14 5
2008 中国L #10 5 0
2009 中国L #10 11 0
- - 43 7

レノファの初代10番は「キング・ガミ」こと石上大輔選手。
レノファ史上最初の試合(2006年4月30日ファジアーノ岡山戦)で
レノファ史上最初のゴールを決めた選手でもあります。


主なポジションは中盤の底のボランチ
サポーターの声援にも「いやぁまだまだですよ」とクールに返す
ヒルな職人気質を感じさせる選手でした。

2010〜2011年 2代目10番 MF中川心平


(写真はゲキサカさんから拝借)
 

リーグ 番号 試合 得点
2009 中国L #25 10 3
2010 中国L #10 16 5
2011 中国L #10 6 0
- - 32 8

2代目10番は「シンペー」こと中川心平選手。
山口市立二島中時代から天才肌なプレーで知られ、
大学卒業後は当時JFL三菱水島FCでレギュラーFWとして活躍。
2009年のレノファ加入時は「あの心平がレノファに!?」と
サポの間にちょっとした衝撃を呼びました。


2010年は背番号10を着けリーグ優勝に貢献したものの
翌2011年はケガに泣き、実力を出し切れずに退団。
今はFCバレイン下関で頼れるベテランの働きを見せてます。

2012〜2014年 3代目10番 FW福原康太


(写真は「アスランの『レノファ写真館』!!」さんのご了解の上、拝借)
 

リーグ 番号 試合 得点
2008 中国L #26 16 12
2009 中国L #26 18 19
2010 中国L #7 18 20
2011 中国L #7 18 12
2012 中国L #10 18 8
2013 中国L #10 15 2
2014 JFL #10 0 0
- - 103 73

3代目10番は「ミスターレノファ」とも呼ばれた福原康太選手。
同じ中国リーグのFCセントラル中国(現デッツォーラ島根EC)から2008年に加入。


2009年末に当時の10番石上選手が退団したときは、
「ぜひ10番がほしい」と猛烈にクラブに希望を出したにも関わらず
10番は(特に希望してなかった)中川心平の手に渡り、康太は7番に。
その後、心平の退団にともなって2012年から念願の10番を背負うことになりました。


ピッチでは独特の野性的な嗅覚でゴールを量産。
レノファでの通算73ゴールは今も燦然と輝くクラブ記録です。


長年の悲願だったJFLに昇格した2014年は出場機会にめぐまれず
夏にFCバレイン下関へレンタル移籍すると同年末、退団となりました。
しかし康太退団後の翌2015年も背番号10は不在のまま。
歴代の10番が育ててきた「背番号10」というものに
クラブが敬意をこめて「大空位時代」をあえて作ったのではないかなと
勝手にそう考えております。


現在の康太はFCバレイン下関の監督として
中国リーグ昇格を目指し奮闘中です。

2016年 4代目10番 MF庄司悦大


(写真はJリーグ公式さんから拝借)
 

リーグ 番号 試合 得点
2015 J3 #44 35 0
2016 J2 #10 42 4
- - 77 4

2015年開幕直前に急遽加入したかと思うと
瞬く間にチームに欠かせない中心選手へとのし上がり
中盤の底アンカーとして2015レノファの驚異的な攻撃力の舵をにぎった庄司選手。
この年のJ3優勝は庄司ぬきでは考えられないんじゃないですかね。


翌2016年には満を持して10番を背負い、J2の舞台でもその実力を存分に発揮。
「この先数年間レノファの10番は庄司」と誰もが思っていた同年末
謎の移籍により「庄司劇場」は突然の閉幕を迎えてしまいました。
2年間という短い期間でしたが、
庄司のプレーに魅了されたレノサポは少なくないハズ。
これからも庄司という選手は山口県で語り継がれるんだろうと思います。


そして庄司退団後、
レノファの10番は2度目の「大空位時代」を迎えることとなりました。

2018年〜 5代目10番 MF池上丈二



 

リーグ 番号 試合 得点
2017 J2 #15 20 1
2018 J2 #10 15 0
- - 35 1

昨年の丈二は後半途中からのサブ出場がほとんど。
正直言いますと昨年は丈二の良さを見抜くことができませんでした。
ところが今年の丈二はインサイドハーフとして目を見張る活躍。
適材適所ってこーゆーことを言うんですね。
チームに不可欠な選手へと一気に成長しました。


イニエスタさんのおかげでシーズン途中の背番号変更が可能となったわけですが、
今回の番号変更を機に丈二がさらにビッグに成長するかも知れません。
そーゆー「予想外のイニエスタ効果」にも大いに期待しましょう。

もう一つの「大事な背番号」?

レノファには「10番」の他にも
「きっとこの背番号を大事にしてるんだろーなー」と思われる番号があります。


それは「23番」。
中山元気(現U18監督)が着けてた番号です。
元気が2012年に引退して以降、ずっと6年にわたって欠番状態が続いてます。
なのでクラブは中山元気を「大事な存在」として考えてるんじゃないかな
という推測が成り立ちます。


もちろんこれは勝手な推測(というか妄想)なので
どこまで本当かわかりません。
しかし「次に誰が23番を着けるのか?」または「誰も着けないのか?」
にずっと注目してるレノサポが少なからずいることもまた事実。


一つ言えるのは
レノファというクラブは背番号を大事に考えてくれてる
てことじゃないかと思います。

レノファの2018前半戦をざっくりふりかえる

7月1日の横浜FC戦。
今季最多の入場者数12,927人が集まりました。

しかし試合は0-3で完敗。
横浜FCが対レノファ用の思い切った作戦に出たところそれが見事にどハマり。
レノファも普段と同じ攻撃サッカーを展開し必死に追い上げようとしたんですが
最後の精度が足りずに完封負け。
長いシーズンこんな試合もありますよ。



この試合で今季も前半戦がおわりました。
というわけで過去シーズンと比べながら
今季前半戦を簡単に振り返ってみようと思います。



まずは得失点と勝敗と順位です。

  • 2016年 28得点33失点 9勝4分8敗 勝ち点31(8位)
  • 2017年 18得点31失点 3勝4分14敗 勝ち点13(21位)
  • 2018年 37得点31失点 11勝6分4敗 勝ち点39(2位)

失点数は毎年ほぼ同じペース。
残留争いしてた昨年も優勝争いしてる今年もまったく同じ31失点。
しかし得点はほぼ倍増。昨年と今年の明暗をわけてるのはこれ。
レノファの生命線はやっぱ得点力なんだなーと実感します。



今季ここまでの得点&失点の推移を移動平均グラフにしてみると……

オレンジ(得点)のグラフがグレー(失点)のグラフを大体上回ってます。
後半戦もこれを続けたいものですね。


ちなみに2016年はこんな感じで……


2017年はこんな感じでした。



次に「ピタゴラス勝率」を切り口に見てみましょう。
このブログによく出てくる「ピタゴラス勝率」。
これをなるべく簡単に説明すると、
得点&失点の比率から計算される「理論上の勝率」のことで、
チームの実力を(実際の勝率よりも)よく反映してるとされてます。


今季レノファのここまでのピタゴラス勝率の推移を見てみると……

だいたい0.6前後。一般的には、
0.6前後→プレーオフ圏内争い
0.7前後→自動昇格争い
とされてますので、
失点は仕方ないとしても得点を増やしていって
ピタゴラス勝率を0.7前後まで引き上げていきたいところです。


J2各チームの「実際の勝ち点」と「ピタゴラス勝ち点」をグラフにするとこんな感じ。

グラフ上の狭いエリアに何チームもひしめいてます。
てことは、きっとこれからも混戦がつづくんでしょうね。


次に今季レノファの「実際の勝ち点」と、
ピタゴラス勝率から計算される「理論上の勝ち点」(ピタゴラス勝ち点)を
グラフにしてみると……

実際の勝ち点が、ピタゴラス勝ち点を大きく上回ってます。
これはつまり「今季のレノファは相当運がいい!」ということ。
得失点比からすると勝ち点32ぐらいが妥当なのに、実際は勝ち点39。
勝ち点を7つも得してる計算になります。
このアドバンテージがシーズン終盤でモノを言うかもしれません。



この「運の良さ」を引き出してるのは霜田監督みたいな気がします。
これまでくすぶってた選手たちが今季みんなイキイキとプレーしてますもんね。
ストライカーとして覚醒したオナイウ阿道
ピッチを縦横無尽に駆け回る高木大輔
MVP級の活躍を見せる小野瀬と前ちゃん。
実はこんな上手い選手だったのか!と思い知らされた池上丈二。
1試合ごとに守備がどんどん上手になってく三幸と鳥養。
このサッカーを見れる山口民は幸せ者ですよね。



最後にホーム1試合平均入場者数。

  • 2016年 5,821人(ホーム11試合)
  • 2017年 5,183人(ホーム10試合)
  • 2018年 6,486人(ホーム10試合)

じわじわお客さんが増えてる感があっていいですね。
いろんな人が一緒に楽しめる維新みらスタの空間を続けていけば
これからもお客さんはじわじわ増えてくんじゃないでしょーかね。


ではでは。

アウェイ徳島遠征とお遍路を同時にやったら大変なことになった

※今回は『四国の全駅制覇とお遍路を同時にやったら大変なことになった|SPOT』のパク……いやオマージュです。

                                                                                          • -
6月15日(金)20:45 瀬戸大橋 与島PA

金曜日の仕事を終えた後、職場を出てそのまま
翌日の徳島戦に向けて、順調に瀬戸大橋までやってきました。


このペースなら22時には徳島に着けそうだ。
そう思いながらふと案内板をみると
「工事のため翌朝6時まで高松道(徳島方面)通行止」


なんじゃそりゃああーーー!!!
と思いつつも、仕方ないので高松から下道で山を越えて徳島に向かいました。
クルマにナビをつんでないので、迷子になること何回か。
結局、徳島に住む息子宅へ着いたのは23時過ぎ。
近くのコンビニで買ったカツ丼(勝つ丼)を胃に流し込み、そのまま眠りについたのでした。

6月16日(土)7:00

翌朝は7時に出発。目指す先は剣山。
徳島に勝つゲンかつぎとして、レノファユニを着て徳島県最高峰の剣山を征服してやろう!という目論見です。


剣山はふもとの駐車場から登山リフトが運行してて、割とのぼりやすい山。
徳島市内から剣山への田舎道を順調に走り途中の道の駅で休憩してたら、なんか看板がありました。


またしても全面通行止めぇ!!
迂回路はあるみたいですが通過に片道2時間かかるもよう。
これは試合に間に合うか非常に微妙な行程。剣山行きは断念ですね。
でもまだ朝の8時前。これから1日なにしよ?
と思ったとき目に入ったのが「12番札所 焼山寺」の看板。


そう、四国といえば88か所お遍路めぐり。
前々からやってみたいなーとは思ってたんですよね。
たしか、回る順番はどこからどの順番でもよい、というルールだったはずだし。
そこでまずは、道の駅から一番近くの12番焼山寺を目指すことにしました。


このお寺は結構な山の上。
離合できなさそうな狭い道をグングンのぼってくと、歩きお遍路さんの姿。
そして上からくだってくるクルマお遍路さん。
お遍路さん同士は妙に連帯感がうまれると言いますが、その感覚がわかりました。
たがいに積極的に道をゆずります。

8:36 第12番札所 焼山寺


山門の急な階段の途中で杖ついたご夫婦がずーっと立ち止まってたので
「すみません、お手をお貸ししましょか?」
と声をかけたら
「ありがとうございます、ここは自分の足で登ろうと思いますので。ご親切にどうも」
とのご返事。
うわーいきなり余計なお節介かましてもた!


気を取り直して、階段をのぼってくと
本堂・大師堂は霧につつまれ幻想的なふんいき。


本格的なお遍路さんなら真言や般若心経をとなえたり
ちゃんとしたお作法があるみたいですが、
真宗門徒のアタシはレノファユニを着たまま回るだけの気楽な観光お遍路。
こんないい加減なお遍路でも受け入れてくださるのが
八十八箇所巡礼のふところの深さなんですね(勝手な解釈)


お参りがすんで駐車場に戻る道からみえた絶景。

写真では見えにくいですが、徳島の街並みがうっすらと見えました。
さて山をくだって次の札所を目指します。

9:38 第13番札所 大日寺


このお寺にはこんな看板がありました。

事故ゼロ大事!マジ大事!


お寺の真向かいには阿波一宮神社。


ここから先は札所が集中してるのでとても回りやすいエリアです。

10:13 第14番札所 常楽寺


地面の岩が印象的。流水岩と呼ばれてるそうです。
あとこのお寺はやたらとネコがいて、ちょっと癒されましたε-(´∀`*)

10:24 第15番札所 国分寺


このお寺の見どころは本堂なんだそうですが、工事中でした。

10:40 第16番札所 観音寺


ここの本堂のわきには仏足跡がおかれてました。

11:05 第17番札所 井戸寺


弘法大師が杖で井戸を湧き出させた伝説がお寺の名前の由来だそうです。


さて、ここまで一気に回ってきて気付いたことが何点か。
せっかくレノファユニを着てても、お遍路さんて基本的に他県から来てるので、あまりPRになってない!(かといって変な目で見られることもない)
あと、みんな同じ順番で同じぐらいのスピードで回るので、同じ人と行く先々のお寺で顔を合わせる確率がすごく高い!(ちょっと気まずい)

11:58 第11番札所 藤井寺



詳細は省きますが、このお寺の駐車場にトイレがあって本当に助かりました!

12:20 川島潜水橋

次のお寺に向かう途中、川島潜水橋をわたりました。
有名な橋だそうです。


12:48 第10番札所 切幡寺


この写真の本堂へたどりつくには333段の階段をのぼる必要があり、
のぼった後は生まれたての小鹿みたいに足がガクガク。
しかも下りの階段がまたヤバい。


とりあえず今回のお遍路さんはここでおしまい。
続きは来年まわることにしました……
とここまで書いて気付いたんですが
来年も徳島遠征にくるには、レノファと徳島が同じカテゴリにいなきゃいけないんですよね。
レノファが昇格するなら徳島も昇格、レノファが残留するなら徳島も残留。
逆もまた真なり。

14:21 勝瑞城館跡

実は今回どうしても来たいとこがありまして、それがこの勝瑞城館跡。
室町後期の阿波国(&幕府中枢)を実質支配した三好氏の壮大な城館跡です。



工事現場でした!


でも、いくつかの遺構は復元されてまして……


この遺跡について書こうと思えばブログ1本分ぐらい余裕で書けちゃうんですが
ここは中世史ブログじゃなくてレノファ応援ブログなので割愛。


ここで一旦、息子宅にもどりまして、息子と一緒にポカスタへ出発。
息子がレノファの試合を見に行くのは実に8年ぶりぐらいのことです。
ポカスタに着くと昔の息子を知ってる旧知のレノサポさんから
「これがあの時の小学生!?」「大きゅーなったねえ!」

17:27 ポカスタ

直射日光がとてもまぶしいポカスタのアウェイ席。


試合開始時には日も落ちました。


前半10分台にまたしても恒例の失点。
サイドの攻防でこぼれ球がたまたま徳島シシーニョの前にころがった時点で勝負あり。
フリーのシシーニョにとってピンポイントでクロスを入れるのは朝飯前。


追いかける展開は慣れてるのでまったく動揺しないレノファ。
前半41分には小野瀬ゴールが決まって同点に追いつきました。


後半も魂を込めて応援です。今日の勝利つかみとろう!


すると後半19分の芸術的な小野瀬ゴール(あるいはまぐれゴール)で雰囲気は最高潮!


徳島も非常に戦術的なチーム。あの手この手でレノファの守りを破ろうとしますが
レノファはお得意の「念力」ディフェンスを発揮して最後まで守り切り、
2-1でうれしいアウェイ勝利!


徳島でうれしい山口一番!


歓喜のポカスタを後にして……


帰りに息子おすすめのラーメン屋「麺王」さんに入ると
まわりは失意の徳島サポさんばかり。
それでも帰りにクルマに乗ろうとすると徳島サポさんに
「山口までお帰りお気をつけて!」
と声をかけていただきました。
ありがたす。


その後、徳島市内の息子宅へと帰ったのでした。