ながらく欠番となっていたレノファの10番を
池上丈二選手が背負うことになったという嬉しいニュースが発表されました。
前任の背番号10庄司悦大がクラブを去ってから実に1年半。
長き「大空位時代」をへて、ついにその跡目を襲う選手が現れました。
うちのクラブって「背番号10」を大事にしてるんだなーと感じます。
そこで今回は歴代の「レノファ背番号10」を
ふりかえってみることにしましょう。
2006〜2009年 初代10番 MF石上大輔
年 | リーグ | 番号 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|
2006 | 中国L | #10 | 13 | 2 |
2007 | 中国L | #10 | 14 | 5 |
2008 | 中国L | #10 | 5 | 0 |
2009 | 中国L | #10 | 11 | 0 |
計 | - | - | 43 | 7 |
レノファの初代10番は「キング・ガミ」こと石上大輔選手。
レノファ史上最初の試合(2006年4月30日ファジアーノ岡山戦)で
レノファ史上最初のゴールを決めた選手でもあります。
主なポジションは中盤の底のボランチ。
サポーターの声援にも「いやぁまだまだですよ」とクールに返す
ニヒルな職人気質を感じさせる選手でした。
2010〜2011年 2代目10番 MF中川心平
年 | リーグ | 番号 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|
2009 | 中国L | #25 | 10 | 3 |
2010 | 中国L | #10 | 16 | 5 |
2011 | 中国L | #10 | 6 | 0 |
計 | - | - | 32 | 8 |
2代目10番は「シンペー」こと中川心平選手。
山口市立二島中時代から天才肌なプレーで知られ、
大学卒業後は当時JFLの三菱水島FCでレギュラーFWとして活躍。
2009年のレノファ加入時は「あの心平がレノファに!?」と
サポの間にちょっとした衝撃を呼びました。
2010年は背番号10を着けリーグ優勝に貢献したものの
翌2011年はケガに泣き、実力を出し切れずに退団。
今はFCバレイン下関で頼れるベテランの働きを見せてます。
2012〜2014年 3代目10番 FW福原康太
(写真は「アスランの『レノファ写真館』!!」さんのご了解の上、拝借)
年 | リーグ | 番号 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|
2008 | 中国L | #26 | 16 | 12 |
2009 | 中国L | #26 | 18 | 19 |
2010 | 中国L | #7 | 18 | 20 |
2011 | 中国L | #7 | 18 | 12 |
2012 | 中国L | #10 | 18 | 8 |
2013 | 中国L | #10 | 15 | 2 |
2014 | JFL | #10 | 0 | 0 |
計 | - | - | 103 | 73 |
3代目10番は「ミスターレノファ」とも呼ばれた福原康太選手。
同じ中国リーグのFCセントラル中国(現デッツォーラ島根EC)から2008年に加入。
2009年末に当時の10番石上選手が退団したときは、
「ぜひ10番がほしい」と猛烈にクラブに希望を出したにも関わらず
10番は(特に希望してなかった)中川心平の手に渡り、康太は7番に。
その後、心平の退団にともなって2012年から念願の10番を背負うことになりました。
ピッチでは独特の野性的な嗅覚でゴールを量産。
レノファでの通算73ゴールは今も燦然と輝くクラブ記録です。
長年の悲願だったJFLに昇格した2014年は出場機会にめぐまれず
夏にFCバレイン下関へレンタル移籍すると同年末、退団となりました。
しかし康太退団後の翌2015年も背番号10は不在のまま。
歴代の10番が育ててきた「背番号10」というものに
クラブが敬意をこめて「大空位時代」をあえて作ったのではないかなと
勝手にそう考えております。
現在の康太はFCバレイン下関の監督として
中国リーグ昇格を目指し奮闘中です。
2016年 4代目10番 MF庄司悦大
(写真はJリーグ公式さんから拝借)
年 | リーグ | 番号 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|
2015 | J3 | #44 | 35 | 0 |
2016 | J2 | #10 | 42 | 4 |
計 | - | - | 77 | 4 |
2015年開幕直前に急遽加入したかと思うと
瞬く間にチームに欠かせない中心選手へとのし上がり
中盤の底アンカーとして2015レノファの驚異的な攻撃力の舵をにぎった庄司選手。
この年のJ3優勝は庄司ぬきでは考えられないんじゃないですかね。
翌2016年には満を持して10番を背負い、J2の舞台でもその実力を存分に発揮。
「この先数年間レノファの10番は庄司」と誰もが思っていた同年末
謎の移籍により「庄司劇場」は突然の閉幕を迎えてしまいました。
2年間という短い期間でしたが、
庄司のプレーに魅了されたレノサポは少なくないハズ。
これからも庄司という選手は山口県で語り継がれるんだろうと思います。
そして庄司退団後、
レノファの10番は2度目の「大空位時代」を迎えることとなりました。
2018年〜 5代目10番 MF池上丈二
年 | リーグ | 番号 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|
2017 | J2 | #15 | 20 | 1 |
2018 | J2 | #10 | 15 | 0 |
計 | - | - | 35 | 1 |
昨年の丈二は後半途中からのサブ出場がほとんど。
正直言いますと昨年は丈二の良さを見抜くことができませんでした。
ところが今年の丈二はインサイドハーフとして目を見張る活躍。
適材適所ってこーゆーことを言うんですね。
チームに不可欠な選手へと一気に成長しました。
イニエスタさんのおかげでシーズン途中の背番号変更が可能となったわけですが、
今回の番号変更を機に丈二がさらにビッグに成長するかも知れません。
そーゆー「予想外のイニエスタ効果」にも大いに期待しましょう。
もう一つの「大事な背番号」?
レノファには「10番」の他にも
「きっとこの背番号を大事にしてるんだろーなー」と思われる番号があります。
それは「23番」。
中山元気(現U18監督)が着けてた番号です。
元気が2012年に引退して以降、ずっと6年にわたって欠番状態が続いてます。
なのでクラブは中山元気を「大事な存在」として考えてるんじゃないかな
という推測が成り立ちます。
もちろんこれは勝手な推測(というか妄想)なので
どこまで本当かわかりません。
しかし「次に誰が23番を着けるのか?」または「誰も着けないのか?」
にずっと注目してるレノサポが少なからずいることもまた事実。
一つ言えるのは
レノファというクラブは背番号を大事に考えてくれてる
てことじゃないかと思います。