なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

レノファの監督をふりかえる

5月23日、レノファをJ2まで連れてきてくれた上野監督が電撃退任。
暫定的に猿澤真治監督が就任されることになりました。
シーズン途中での監督交代はクラブ史上初。
誰が監督になろうともレノファを応援することに変わりはないワケですが
この機会にレノファの歴代監督を少しふり返ってみようと思います。



初代の宮成隆監督。
レノファ誕生の2006年から2009年まで4シーズン在任。

サポーターからは「ミヤさん」の愛称で親しまれました。
ほとんど組織的・経済的な裏付けのないままスタートしたレノファの
監督というまさに「火中の栗を拾う」仕事を引き受けてくださったミヤさん。
最初は中国リーグ下位だったレノファを
2年連続で地域決勝に出場するまでに成長させ、
惜しくもJFL昇格こそ果たせませんでしたが、
今に続くチームの土台を築いた監督さんでした。
サイドを起点として繋ぎのサッカーでゴールを目指す
「レノファらしいサッカー」の伝統はミヤさんから始まった……
とワタシは勝手に思っております。



2代目の月岡利明監督。
2010年〜2011年の2シーズン在任。

サポからは「ツキさん」「ツッキー」の愛称で親しまれました。
実力をつけてきたレノファをJFLへ押し上げる昇格請負人として
サンフレッチェ下部組織からやって来たツキさん。
レノファに初めてもたらされた理論的な指導に夢が広がったものです。
1年目には中国リーグ優勝を果たし、満を持して地域決勝にのぞみましたが、
元Jリーガーを多数擁する他チームの前にあえなく敗退。
翌2011年も前年と同等のリーグ成績を残しますが惜しくも2位で優勝を逃し、
チームのもう1つの大きな目標だった「山口国体での入賞」についても
初戦で(優勝した)鹿屋体大と当たるという不運に泣き、入賞は果たせず。
十分な戦力を用意できなかったクラブにも責任はあったと個人的には思うんですが、
月岡監督がひとり責任を負う形となり、志半ばでの退任(事実上の解任)となりました。



3代目の河村孝監督。2012年の1シーズン在任。
いまレノファの社長をつとめているあの河村さんです。愛称は「ジャンボ」。

2011年シーズン終了時のレノファは悲壮感、絶望感にあふれていました。
JFL昇格どころか山口国体入賞すらダメだった」
「レノファは消滅するんじゃないか?」
「選手がいなくなってチームが崩壊するんじゃないか?」
「監督を引き受けてくれる人なんているのか?」
そんな状況の中、クラブ誕生時のミヤさんと同じように
「火中の栗を拾って」くれたのがジャンボ。
正直なところ、監督としてのジャンボは実績を残せたとはいえません。
リーグ戦は4位。天皇杯予選でも徳山大に敗退。
夏頃からは、当時まだ選手だった中山元気が事実上の監督として采配をふるったりもしてました。
でも今にして思えば、ジャンボは目先の1シーズンよりも
もっと先を見すえたチームづくり、クラブづくりを考えてたんでしょうね。
2012年シーズン後、ジャンボはレノファを株式会社化して社長に就任。
後任の監督には先ほどの中山元気をあてたのでした。



4代目の中山元気監督。
2013年の1シーズン在任。愛称は「元気(げんき)」。

これも今にして思えば、将来のレノファを担う人材(=元気)を育成するための監督起用だったのかな……と。
シーズン途中から平林輝良寛選手が参謀としてチーム戦術を決めたりしてましたね。
リーグ戦は決して悪くない成績をおさめたんですが無念の3位。
地域決勝に出るために負けられない全社(全国社会人大会)では
神がかったように勝ち進み、サポーターの夢をのせて劇的な優勝。
地域決勝ではまたも敗退したものの、全社優勝が決め手となり悲願のJFL入会を果たしました。
ただし、元気はJFLで監督するために必要なA級ライセンスを持っておらず、
1年での退任となりました。



5代目上野展裕監督。
2014年から2017年5月23日までの3年半在任。

ジャンボ社長は、元気の後任として、
かつてマツダ(当時JSL1部)でチームメイトだった上野監督を招聘。
第二の「今西-オフト」コンビを目指した上野監督の挑戦がはじまりました。
上野監督の実績はみなさまご存知のとおり。
1年目の2014年、JFL4位に入り、J3入会を達成。
2年目の2015年、超攻撃サッカーでJ3優勝を果たし、J2昇格。
3年目の2016年、一時3位まで上がる快進撃でリーグを大いに沸かせ、最終12位。
4年目の2017年、レノファの生命線だった連携が影をひそめ、低迷が続く中ついに退任……。
もし別の監督だったら、今もまだJFLにいたんじゃないでしょうか。
ひょっとしたら、JFLの壁にはね返されて、また中国リーグに落ちてたかもしれません。
ふり返ってみると、「ウエさん」とか「ノブさん」とか
愛称で呼ばれてなかったんですね。ちょっと意外。


ところで、ひとつ自慢させてください!
2014シーズン前に開かれたサポーターのミーティングになんと上野監督が現れ、
サポーターたちと歓談したという一幕があったそうでして、
残念ながらワタシは別の用事でそのミーティングには行けなかったんですが、
そのとき監督が
「『レノファを応援してみる日記』というブログを書いてる人はどなたですか?」
「前々からこのブログを読んでいた」「一度このブログの人とお話してみたい」
とおっしゃったらしく、後から人伝てでその話を聞きまして
その場に行けなくて残念だったような、行かなくて良かったような、
うれし恥ずかし(朝帰り)みたいな気持ちになったんですが
それから時は過ぎ、とうとう上野監督と言葉を交わす機会はやって来ませんでした。



そして6代目の猿澤真治監督。2017年5月23日就任。
後任が決まるまでの暫定的な監督ということですが、
監督であることに変わりありません。
果たしてどんな「猿澤レノファ」を見せてくれるのか。
今週末、さっそく下関へ応援に行きますよ!



最後に歴代監督の通算成績(全公式戦)です。

  1. 宮成隆  69勝10分32敗 [2006-09]
  2. 月岡利明 42勝 3分13敗 [2010-11]
  3. 河村孝  14勝 5分 8敗 [2012]
  4. 中山元気 24勝 3分 5敗 [2013]
  5. 上野展裕 62勝21分44敗 [2014-17]
  6. 猿澤真治 ?勝?分?敗 [2017-]