なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

明日5月7日はこの世にレノファサポが誕生して満10年

2006年5月7日。
生まれたばかりのレノファが初めてホームゲームを開催したこの日。
(中国リーグ第2節、vs佐川急便中国、@維新公園ラグビーサッカー場


試合会場につめかけた観客は数百名ほどおられたそうですが、
レノファを応援しようと会場までやってきた人たちが約10名ほどおられまして、
多々良学園高校・西京高校の生徒たちと一緒に初めてのレノファ応援が行われました。
この人たちこそ、今につながるレノファサポーターの最初期メンバー


試合が終わった後、当時レノファのスタッフだった末さんがこの約10名に声をかけ、
維新ラグサカの会議室でレノファサポ史上初のミーティングが開かれたのだそうです。
そのときの話し合いで決まったのが……

  • レノファを応援する志を持った人は拒まない
  • 何があろうが分裂応援はしない
  • サポーターサイトを開設する

この3点だったとのこと。
ほどなく開設されたサポーターサイトは残念ながら2008年頃に閉じてしまいましたが、残りの「レノファを応援する志を持った人は拒まない」「分裂応援はしない」は今でもレノファサポーターの中に脈々と受け継がれています。


この日の様子をryonagaさんがブログに書かれてます。ぜひ読まれてみてください!
中国サッカーリーグ レノファ山口対佐川急便中国|ryonagaの「通勤準急スタジアム行き2」



この日の最初期メンバーを(ご本人の了承なしに!)書き出してみると……
マーシーさん、フルさん兄妹、カズさん、ナガサーさん、ナギサさん、薬屋さん、黒神さん、コバさん、タカさん(?)、コサコさん(?)あたり。


アタシは2年目(2007年)からの参戦なので、当然この場にはおらず、上のお名前はすべて伝聞でございます。
いろいろ違っていたらすみませぬ。
この約10名のうち、今ではレノファゴール裏に姿を見せてない方も何人かおられますが、アタシ的には今も気持ちはひとつと思っております。
もちろん今でもレノファサポの主要メンバーとしてがんばってる方(フルさん、カズさんなど)もおられます。


さらに言うと、レノファの前身である山口県教員団にもサポーターが2名ほどおられ、そのうちお一人は今でもレノファの応援に来られています。この方がレノファの最古参サポーターと言えるのかもしれませんね。


さて、10年たった今、レノファでつながった人の輪はとても大きくなりました。
これは本当にうれしいことです。こんな未来をずっと夢みてきたわけですから。
中には姿を見なくなった方もおられます。サポの中心メンバーもだいぶ入れ替わりました。
でも、根幹の「気持ち」「心」「志」の部分はずっと変わらず共有し、受け継がれてきたように感じてます。
変わる部分もあれば変わらない部分もある。
まさに不易流行ですね。