なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

レノファが生まれてから10年間の歴史をざっくりふりかえる

この世にレノファが誕生したのが10年前の2006年。
この年の2月20日、「Jを目指すチーム創り検討委員会」が山口県教員団を母体とした新クラブでJリーグ参入を目指すと発表しました。
ということはレノファの誕生日は2月20日ということでよろしいのではないかと。


この日、同時に新クラブ名の公募も開始しております。
みなさまご存じカズさんの案が採用され、同年4月1日か2日に「レノファ山口FC」という新名称が発表されました。
あらためて言うけどホントいい名前だよね!


最初の公式戦は、2006年4月30日の桃太郎スタジアムで開催された中国リーグ第1節のファジアーノ岡山戦。(余談ですがこの試合の入場者数は4184人でしたので、今季開幕戦はこの2倍の人数でファジさんをお迎えしたい!)
結果こそ1-5の完敗でしたが、初代ミスターレノファ、キングガミこと石上選手が記念すべきレノファ初ゴールを決めました。


初のホーム戦は同5月7日、維新公園ラグビーサッカー場での佐川急便中国戦。
結果は残念ながら1-4で敗戦。(得点者:植木選手)
実はこの試合はレノファサポーターが発足した日でもあります。
レノファを応援してみようと会場にやってきたサポーター約10名が、みんなで声出し応援を初めておこなったのがまさにこの日。みんな初対面だったけど、すぐに結束は固まったのだそうです。


記念すべきクラブ史上初勝利は、同5月14日、多々良学園グラウンドでの日立笠戸戦。
尾崎、浅野両選手のゴールを守りきって2-1の勝利をおさめました。
むかしはレノファの公式戦を高校のグラウンドでやってたんですよ。
しかも高川学園でなく多々良学園時代に。これもレノファの歴史の一幕ですね。


そして10年がたち、積み重ねてきたリーグ戦は……
199試合、130勝27分42敗、512得点236失点。
2008年(中国リーグ)、2010年(中国リーグ)、2015年(J3)と3回のリーグ優勝を果たしました。

今年の開幕戦は、レノファにとって200試合目のリーグ戦なんですね!


この10年間でのリーグ戦最多出場は、二代目ミスターレノファと呼ばれた福原康太選手の103試合。

  • 103試合 福原康太
  • *89試合 碇野壱馬
  • *80試合 柏原渉
  • *75試合 吉田健次郎
  • *72試合 藤井仁詩
  • *70試合 伊藤博幹
  • *65試合 田村隆生
  • *64試合 安田忠臣
  • *62試合 一森純
  • *61試合 鳥養祐矢


同じくこの10年間でのリーグ戦最多ゴールも福原選手の73得点。


ランキングに名前がある選手もそうでない選手も一人ひとりに思い出があります。
この10年間、レノファに在籍したのは150選手。
うち135選手はすでにレノファの選手ではなくなっています。
でもサポーターからしてみれば、今いる選手も、今までの選手も、みな同じ仲間。
どこに行っても元気な姿を見せてほしい!
他のレノファサポーターさんもきっと思いは同じはず。


さてレノファはリーグ戦以外もたくさんの公式戦を戦ってきました。
野上杯、県選手権(天皇杯予選)、天皇杯、全社中国予選(中社)、全国社会人(全社)、地域決勝(地決)、西日本社会人(西社)などなど。
それらの戦績は次のとおり……

95試合、63勝32敗、218得点107失点。


そしてリーグ戦とそれ以外を合わせた全公式戦の戦績は……

総計294試合、193勝27分74敗、730得点343失点。
この結果の良し悪しはともかくとして、何よりも、1試合1試合を積み重ねてここまで来たんだなー
としみじみ思います。


今でこそ試合環境は格段によくなりましたが、中国リーグの頃とかですね、2日連続の連戦なんて当たり前。地域決勝は3日で3試合ですし、全社も勝ち進めば5日で5試合、真夏の真っ昼間の炎天下での試合も当たり前、2009年だったか真夏の昼間に3日で4試合てのもありまして、さすがにあれはこたえましたね。
試合会場も観客席があればマシな方、応援スペースはピッチ脇のその辺とか、ネットの外の崖の上みたいなとことか、はたまたピッチ内に野球のマウンドがあったりとか、いろんな会場を経験させてもらいました。
そうやってふりかえると、チームと一緒にサポーターも戦ってきたんだなーと、今さらながら実感します。


レノファは中国リーグからJFLへの昇格をめざして、地域決勝に4回チャレンジしましたが、どうしても地決のカベを乗り越えることはできませんでした。
レノファの地決の試合は、ごめんなさい、石垣島の3試合以外はすべて見ました。見て思うのですが、選手は責められません。選手たちはどの試合も持てる力を精一杯発揮してくれました。
毎年、全国に地域リーグ72チームあるうち、JFLにあがれるのはわずか2チーム。
JFLにあがろうというチームは、億単位の運営費をつぎこみ、Jリーグ経験者でスタメンをかため、デッドオアアライブのサバイバルゲームに突入してました。
一方レノファは年間運営費2〜3千万円前後、クラブ組織も未整備、いい選手はいたものの全体の層はやはり薄目……遅れをとっていたことは否めません。


なかなか中国リーグから抜け出せない状況を考えると、お客さんが減っても不思議ではありませんでしたが、現実は逆で、レノファのお客さんは年々増えてゆきました。

維新公園ラグサカ場では2009年からコンスタントに1000人以上を集め、2012年から使えるようになった維新公園陸上競技場(維新スタジアム)では毎試合2000人以上を集めました。
今のレノファがあるのも、この苦しい時期に、これだけたくさんのお客さんが見に来たからですよ。
だから昨シーズン終盤の苦しい時期がやってきても、レノファサポは慌てず騒がずどっしりと応援してたでしょ?
苦しい経験してきたことが、こーゆーときに生きるんだなと思いましたよ。


書けること、書きたいことはまだまだ山のようにありますが、結局のところ、レノファの宝とは一体何かといえば選手たちのこと、そしてレノファとは一体何かといえばレノファを応援してる我々そのものがレノファだということ。
10年(のうち9年間)応援してきてわかったのはその2つのことでした。


次の10年、何が起こるかわかりませんが、何があろうと10年後も応援を続けていきたいものです。