なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

レノファサポーターの歴史2015版

以前このブログでレノファサポの歴史をざっくりとまとめたことがあるんですが、こないだある方から「またアレ載せてよ」とリクエストをいただきましたので、ちょっと加筆・修正した「2015年版」として以下に再掲載させていただきます。

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むかしのレノファサポがどんな感じだったのか。
関心をお持ちの方が結構いらっしゃるみたいなのでレノファサポの歴史をざっくりまとめてみました。
あたしもレノファ応援を始めたのは2007年からでして、それ以前のことは実はよくわかってません。
間違いがあれば直しますんで、遠慮なくご指摘くださいませm(_ _)m

前史(〜2005年)
  • 実は2005年以前の山口県教員団(レノファの前身)時代からサポさんがおられました。
  • 2002年頃から2人のサポさんが旗を振り太鼓を叩いて教員団を熱く応援されてたとのこと。
    ※そのうちお一人は今も時折レノファ応援に来られてます。
  • あたしも2004年の天皇杯(山口教員団vsFC琉球)を維新へ見に行ったとき、ゴール裏に教員団サポのお二人を目撃しました。
  • その試合のメインスタンドでは(おそらく動員でやってきた)多々良学園高校サッカー部約50人が大音声で教員団を応援。今思うとその中に碇野壱馬、田村隆生、石田聖雄がいた可能性十分ありますね。
2006年
  • 2006年のクラブ史上初の公式戦(4月30日ファジアーノ岡山戦@桃太郎スタジアム)に山口から数名が個別に参戦されたものの声出し応援は特になし。
  • 初のホーム戦(5月7日佐川中国戦@維新公園ラグサカ場)では「せっかく地元にクラブができたので応援してみよう」と一人で会場に来てみたら、同じことを考えてた人が約10人くらい来てたので、「じゃみなさんで一緒に応援しましょうか」という感じでサポ応援が始まったそうです。
  • この試合でも多々良高サッカー部が(おそらく動員で)レノファ応援に来ており、約10人のサポさんは多々良と一緒に応援をされたとのこと。
  • 試合後、サポさんたちにクラブスタッフのS永さんが声をかけ、維新ラグサカの会議室で今後のことを打合せ。そのときの話し合いの内容は……
    • 1. レノファを応援するという志を持った人は拒まないこと
    • 2. 何があろうが分裂応援はしないこと
    • 3. サポーターサイトを開設すること
  • この結果、(今はもう閉鎖されましたが)最初のサポーターサイトがほどなく(確かレノファ公式よりも早く)開設されました。
  • 最初のレノファサポにはJリーグ応援の経験豊富な人が多く、あまり早いうちに独自カラーやオリジナリティを出すよりも「一般の人たちにもなじみ深い応援をやろう」ということで日本代表チャントやJリーグの有名チャントを多用されてました。(最初に「色」をつけなかったことが、後で良い方向に作用)
  • 周南市でビラ配りをした後、トクヤマのジョイフルで「レノファゴール」などのチームチャントを作成。
  • #9尾崎光選手のあまりの快足っぷりにサポの間で「俺たちのヒカル」ならぬ「俺だけのヒカル」論争が勃発。
  • 10月、レノファサポがラジオ初出演(NHK山口FM)
2007年
  • (この年からあたしもレノファ観戦&応援をスタート)
  • 当時は選手チャントも横断幕もなく、誰がコールリーダーということもなく、それでいてきちんと統率された声援と手拍子。
  • 声出し応援の人数は通常時で10人前後。
2008年
  • シーズン前にサポで話し合い、ただの名前連呼型ではない少しひねった形の選手コールを有力選手に限って開始することに
    →(ドンドンドンドン)カシハラ!オレ![柏原選手]
    →(ドドンド・ドンドンドン)コータ![福原選手]
    →タークタークターク(ドンドン)[多久島選手]
  • 同時にレノファ初の選手チャントが誕生
    →ヤスゴール!オーオー![安田選手]
  • サポが作ったチーム横断幕やゲーフラもこの年に初登場→少しずつ増加

  • 声出し応援の人数は少しずつ増加。
2009年
  • 前年まで選手チャントは安田選手のみでしたが、シーズン2戦目のJX戦(@桃スタ補助陸)から福原選手チャント『バモスコータ』と柏原選手チャント『情熱の薔薇』が登場。
  • この試合で福原選手と柏原選手がゴールを決め、3-2で勝ったため両選手のチャントが完全定着!(もしこの試合に負けてたら両チャントとも自然消滅してた可能性が非常に高い)
  • この年、選手横断幕が初登場→少しずつ増加
  • 10月に大旗が初登場。
  • 声出し応援の人数は通常時で10数人、一番多かったのが鳥取(地域決勝)での約30人。
2010年
  • この年からサポーターズグループ『ヤマグチスタ』発足。
  • シーズン前に初の大型横断幕(通称デカダン)をサポみんなで製作。
  • 応援にスネア(通称小太鼓)を導入。
  • 前年まで安田・福原・柏原3選手だけにしか無かった選手チャントが一気に11選手まで増加。
  • この頃からオリジナル性の高いチームチャントが増える。
  • 選手横断幕も一気に増加。
  • ヤマグチスタがツイッター開始。
  • 声出し応援の人数は通常時で10数人、一番多かったのがひたちなか(地域決勝)での約40人。
2011年
  • 関東のサポグループ『東京レノファミリー(TokyoRenoFamily、略TRF)』発足。
  • @むっきー氏がコルリに就任。応援の幅をぐっと大きく広げていく。
  • 横断幕、選手チャント、大旗が少しずつ増加。
  • このシーズン後にヤマグチスタ選定のチームMVP&ベストゴール表彰を開始。
    以後、毎年恒例行事に。
  • 声出し応援の人数は通常時で20人くらい。
2012年
  • 2枚目の大型横断幕(デカダン)をサポみんなで製作。
  • 4月にヤマグチスタ公式サイト開設(→ほどなく開店休業状態に)
  • 全選手の横断幕と選手チャントが出そろう。
  • 維新スタジアムで初の試合開催。声出しエリアはメインスタンドはじっこ寄り。
  • 声出し応援の人数は通常時で20人くらい。
2013年
  • 維新スタジアムでの応援エリアをバックスタンド(クルバ付近)に移動。
  • 勝利後のラインダンス『山口一番ダンス』が定着。
  • 初のスタジアムウェディングをサポ応援で盛り上げ。
  • 8月の県選手権決勝からゴール裏での声出し応援に移行
    →ゴール裏に移ってから応援人数が一気に急増
  • 9月の島根戦では100人近くがゴール裏で応援。
  • 10月のPSM今治戦では100人超がゴール裏で応援。
2014年
  • 維新スタジアムでの応援エリアがゴール裏ちょっとメイン寄りに移動。
  • 毎試合100人以上のみなさんがゴール裏で応援。
  • 応援の手拍子がメインスタンドにも伝染。対戦相手からも「維新の雰囲気はすばらしい」「JFLで一番が盛りあがっているスタジアム」との評をいただく。
2015年
  • ついにJリーグJ3)に入会。
  • 試合をおうごとにゴール裏の人口急増中。
  • ゴール裏だけがヤマグチスタじゃない。レノファを愛する人みんながヤマグチスタ。
  • メインスタンド&バックスタンドにも応援の手拍子とマフラー回しがかなり定着。スタジアム全体から聞こえる声援と手拍子はなかなかの迫力!
  • 維新スタジアムが満員のお客さんでうまるよう、一人でも多くのみなさんが笑顔でレノファを楽しめるよう、ヤマグチスタの闘いはこれからも続く……!


来し方をふり返り、行く末を思うよすがになれば大変幸せます(*^_^*)