なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

結果と内容

ひとりごとなんですけども。
わたしらサッカーファンは試合の結果だけでなく内容も求めたりします。
サッカーとは相手より多くゴールを奪って勝つことが目的なので、本来なら結果だけを求めれば十分なわけですが、ではなぜ内容も求めてしまうのか。


サッカーは常に実力どおりの結果が出るわけではなく、偶然性(運)が結果を左右することもあるスポーツです。もちろん大多数の試合は実力どおりの試合結果となりますが、圧倒的な実力差がついてるのに事故みたいなゴールで弱いチームが勝利!(例:1996年アトランタ五輪での日本×ブラジル)てなことも決して珍しくありません。


日本には「運も実力のうち」という言葉がありますが、結果に至るまでの過程や理由についての合理的な説明をハナっから放棄してる言葉なのでわたしは好きではないです。


話を戻して、サッカーファンはなぜ内容も求めるのか。
いろいろご意見もあるでしょうが、単純に言えば「内容のいいサッカーをした方が勝つ確率も高まるから」だと考えています。
行き当たりばったりサッカーで勝つか負けるかは運まかせ。たまに見るだけならそーゆーサッカーを楽しめたりもするでしょうが、いっつもそんなサッカーを見せられたら当然ファンは離れていくことでしょう。


人は「理由」を求める生き物。なぜ勝ったのか。なぜ負けたのか。なぜあそこにパスを出したのか。なぜゴールが決まったのか。なぜファーサイドの選手をドフリーにしてしまったのか。なぜあの審判は冷静さを欠いているのか。
サッカーを見ながら次々とわき起こる疑問を自分の中で消化したり、または観戦仲間と疑問を共有してあれこれ議論したりする。これがサッカー観戦の醍醐味の一つだと思うのです。


サッカーの試合は常に思うようにいきません。
ゴール前まではすばらしいサッカーをしてるのに、最後のシュートだけふかしてみたり空振ってみたり……。
「結果」だけを求める立場からしたらまったくもって無意味。論ずる価値もありません。しかし結果だけでなく「内容」も求める立場をとるのであれば一定の評価をしてやんなきゃならないでしょう。


これは自戒をこめて書くのですが、ファンは得てしてゴールを奪えない試合では「今日は戦う気持ちが見られない」、ゴールを奪った試合では「戦う姿勢が見れてよかった」などと言う傾向があるように感じます。われながら勝手なもんですね(・∀・)
「内容」のよいサッカーを求めながらも、じゃどんなサッカーなら内容がよいと言えるのか。そのへんの「サッカー観」はブレずに筋のとおったものを一つ持っておきたいものです。


サッカーの正解は一つだけじゃなく無数にありますが、その無数の正解にあれもこれもと手を出してては、いつまでたっても自分の「サッカー観」にたどりつけることはないでしょう。
そして自分なりのサッカー観戦の方法論を確立することができたら、そこでようやく内容のいいサッカー&悪いサッカーを見分けれるようになるハズです。


わたしも自分の方法論を見つける道半ば。
今日の話はレノファについてというわけではなく、サッカー全般について日頃思ってることを何となく書いてみました。おそらくサッカー(やスポーツ)が好きな人なら誰でも考えたことがあるネタだと思いますので、あえて書くのもどうかとは思いながら。