なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

ストーブリーグばなし - Jリーグを目指すクラブをよみなおす(その2)

前回のつづきです。
Jリーグ開始から1998年頃までの間、Jリーグ志向の主流は、すでにそれなりの基盤ができてるクラブでした。ほぼ唯一の例外といってよいのが大分です。1994年に大分県リーグからスタートし、1999年にJ2加盟を果たしました。大分も決して順調な道のりを歩んだわけではありませんが、福島FC、コスモ四日市などのように、一方ではJリーグを目指すクラブの消滅が現れ始めたのもこの時期です。Jリーグを目指す動きは一気に沈静化しました。


急成長期から停滞期へ。急成長期のなごりといえる水戸のJ2昇格(2000年)といろんな事情を背負った横浜FCのJ2昇格(2001年)ののち数年間は、Jリーグ昇格クラブが生まれませんでした。新JFLクラブにもJを目指そうという機運はなく、Jリーグ志向のクラブは地域リーグ都道府県リーグにいくつか見られるだけで、どれもJリーグ昇格にほど遠い状態と思われていました。掲示板サイトの2ちゃんねるに「今時Jリーグ入りを目指す物好きクラブ」という知る人ぞ知るスレッドが立てられたのがまさにこの時期です。「物好き」ってのは言い得て妙ですね。


そんな冬の時代にも、次の時代への胎動が着々と始まっていました。2001年にニューウェーブ北九州(この名前にも慣れました。慣れってすごいですね。)がJ志向クラブとして新生すると、その直後から静岡FCザスパ草津沖縄かりゆしFCプロフェソール宮崎などのクラブがJリーグを本格的に目指し始めました。どのクラブも地域リーグ・県リーグレベルからの出発であり、JFLレベルからのJ志向ではありませんでした。ここが急成長期と大きく違う点です。


おそらくは、ザスパ草津の成功(2005年J2昇格)がきっかけになったのでしょう。人口7000の町で群馬県リーグからわずか3年でJ2入り。2004年頃から「物好きクラブ」の数は激増し始めました。年間3億円程度の運営費でやってけるクラブがJ2に現れてたことも、物好きクラブの増加を後押ししたに違いありません。そんなわけでJリーグ志向の動きは今、第2のバブル期を迎えている真っ最中なのです。全国でJリーグ入りをめざすチームリスト (Jリーグ100チームを目指してwiki版)を見るととてもたくさんのクラブがJリーグを目指してることがわかります。急成長期→停滞期→再成長期を経て、いってみれば第三世代。われらがレノファ山口も2006年に生まれた第三世代の一員です。


第三世代の特徴は、ほとんどが地域リーグ以下からの挑戦であること(徳島ヴォルティスカターレ富山はわずかな例外です)。そして、クラブ間の本気度に大きな差があること。はるかな夢としてJリーグ入りを掲げているだけのクラブもあれば、現実的な目標として計画的に活動しているクラブもあります。レノファはまだ現実的な目標にはなってないですが、手の届く距離へ近づくためにコツコツと実績をつみ重ねてる段階だと思ってます。決して看板を掲げてるだけのクラブではないです。


もう一つ忘れちゃいけないのが、成功クラブの陰で消滅や激衰の憂き目にあったクラブも数多いという事実です。アステール青森、福島FCワールドブリッツ小山、ブレイズ熊本、プロフェソール宮崎の名前は消えてなくなりました。全国の物好きクラブが経験してきた危機、今直面している危機を数え上げると本当にキリがありません。ある日突然自分の応援するクラブが消滅した、という例はフリューゲルスだけじゃない。少なくとも自分はそんな目に絶対遭いたくないです。


と言いつつ、自分はJリーグ入りがすべてではないとも考えています。毎試合スタジアムが満員になって、みんなが楽しい思いをできるんであれば、Jリーグじゃなくて3部や4部リーグでも構わないです。世界に目を向けると、5万人くらいの小さな町にある3部・4部リーグのクラブに毎試合1万人以上が集まる、てな話はザラだそうです。ヨーロッパや南米だけじゃなくインドネシアとかでも。そんなレノファと山口になったら良いですね。