なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

ストーブリーグばなし - Jリーグを目指すクラブをよみなおす -

あけましておめでとうございます。どぞ今年もよろしくお願いします。


シーズンオフまっただ中ですが、こーゆー今こそ、来シーズンの期待や展望を語り合うことのできる楽しい時期です。ストーブリーグともいいますね。広島で育った自分は純粋広島カープファンでもありまして、カープファンにとってシーズン中はつらい話題しかないので、ストーブリーグだけが心休まる夢と希望に満ちてる時期でした。昨オフまでは。
今オフはシーズン中にも増してつらい出来事がありました。他人のことを心の底から「裏切り者」と思った自分に新鮮さすら感じてしまったほどです。ま、そんなことはさておき。


レノファ山口にもオフシーズンはスポーツを「語る」という楽しみがあります。選手たちがとてつもなく成長してるのではないか、すごい新人が入ってくるんじゃないか、などなど。新人話つながりですが、レノファ公式によると12月の第1回セレクションのようなまとまったセレクションを年明けからは行わず、練習の中で選考をやっていくとのことです。今年も徳山大や中京大から有望な選手が入ってくるのでしょうか。上下関係って大事ですね。


あと気になるのが、レノファ公式の迎春バナーにでているネズミの新キャラ。背景の富士山とあいまって、そこはかとないシュールさ。公式サイトの妙なとこへの力の入れ具合が何とも言えず気に入っております。


さて、自分は年末年始の間、Jリーグを目指すクラブのおさらいをチマチマとやってました。そしたら、Jリーグを目指すクラブのありようは幅広く様々であったんだけれども、いくつかの類型に分けられるんじゃないかと思いました。


まず最初にJリーグが1993年に始まった直後にJリーグ昇格した数クラブはみんなJSL時代の名門クラブでした。柏(日立)、湘南(フジタ)、磐田(ヤマハ)、C大阪(ヤンマー)の4クラブです。


Jリーグ開幕直後のいわゆるJリーグバブル時代、各地でJFLチームを母体としてJクラブ設立、誘致の動きがとても活発になりました。徳島ではJFL大塚製薬のJクラブ化(ヴォルティス徳島)が模索されましたがすぐに尻すぼみしました。京都では歴史ある京都紫光クラブを京セラが全面バックアップしてJリーグ昇格を果たしています。しかし1996年-98年のこの時期に目立ったのは、他地域のJFLチームを誘致してJ昇格したケースです。札幌(東芝:東京→札幌)、神戸(川崎製鉄:岡山→神戸)、福岡(中央防犯:藤枝→福岡)。鳥栖(PJM:浜松→鳥栖)もこのカテゴリに入りますよね。こーゆー誘致→移転→J昇格のケースが今後見られることはたぶんないでしょう。


Jリーグバブルは早くも1995年にはじけましたが、その後数年間、Jリーグを目指す動きは衰えませんでした。仙台、新潟、鳥栖、大分はJリーグバブル期からずっとJ昇格を目指し、1999年発足のJ2に参加を果たしたクラブです。一方、同じJ2発足参加組でも、山形、大宮、FC東京、川崎、甲府は、ポストバブル期になってからJリーグを目指し始めたクラブです(たしかそう記憶してます)。

この当時、JFLのクラブは何となくJを目指さないといけない的な空気が漂ってたといわれてます。J2参加組のほかにも、本田技研(アキュート浜松)、西濃運輸、コスモ四日市福島FCなどのJFLクラブにJリーグを目指す動きがありましたが、本田はJリーグの旗をすぐに降ろしアマの道を極めていき、残りは1996-97年に消滅してしまいましたそして98年に横浜フリューゲルス事変が起こり、各地のJリーグを目指す動きが大きく鈍りはじめたのでした。


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