なにげなくレノファ応援日記

レノファはどこから来たのか、レノファは何者か、レノファはどこへ行くのか

「地域密着」のその先へ

≪「地域密着」はもう古い≫

「地域密着」という言葉があります。最初に聞いたのは、1993年にJリーグが始まった頃でした。それまでの日本スポーツ界に存在しなかった斬新なコンセプトの華々しい登場に魅了されたものでした。


でも、いつまでも「地域密着」にしがみついてちゃいけません。そもそも、クラブと地域が一体でないから「地域密着」という言葉や発想が出てくるのです。「地域密着」という言葉の裏側には、「地域と無関係なところでクラブが誕生しちゃってる」という重要な事実が隠されています。元々、別だったものをくっつけるから「密着」という言葉になるのです。先にクラブが存在してて、後から地域を持ってくるのではなく、地域が先にあって、地域を代表する存在として自然な形でクラブが生まれる。これを「地域一体」型クラブとか「地域基盤」型クラブと言います。実は、Jリーグでも「地域密着」型クラブはたくさんあれど、「地域一体」「地域基盤」型のクラブは数えるほどしかない、と自分は見ています。

≪「地域密着」という言葉の始まり≫

まあ、そうは言っても、「地域密着」という言葉自体を責める気になれません。Jリーグ発足まで、日本スポーツ界を支配していたのは企業スポーツでした。このことは、戦後の日本社会が、地域共同体を基盤としていたのではなく、企業を基盤としていたことを如実に物語っています(話すと長くなるので、詳細は省略)。もちろん、企業スポーツが戦後の日本スポーツ界を支えてきたことは事実ですし、その功績を否定することは誰にもできません。しかし、企業スポーツに寄りかかりすぎることのの弊害が1980年代後半から徐々に指摘され始めてきたことも事実です(当時の主要な論客と言えば、玉木正之とか)。具体的には、(1)スポーツの論理ではなく企業の論理に左右されてしまうこと、(2)スポーツクラブの存在意義が企業利益に特化されてしまい、スポーツが本来持っている社会的機能がほとんど果たされずにいること、など。企業スポーツが持つこうした弊害を解消する処方箋として、徐々に注目を浴び始めたのが地域基盤スポーツへの移行だったのです。


1990年代前半には、企業基盤型スポーツの典型だったプロ野球が、地域基盤スポーツへの転換を模索していました。既に地域基盤型だったのは広島東洋カープだけでしたが、1980年代末以降のホークス福岡移転(1989年)、ブレーブス神戸移転(1991年)、オリオンズ千葉移転(1992年)、横浜大洋球団の横浜ベイスターズへの改称(1993年)は、いずれも地域志向の動きとして評価することができます。実のところ、Jリーグ発足前夜のプロ野球は、地域基盤型へ移行する努力を(特にパリーグを中心として)進めていたのです。


しかし、地域基盤スポーツを爆発的に広めたのはJリーグです。博報堂をバックにつけたJリーグは、そのスタートとともに強力なイメージ戦略を展開しました。「プロ野球のアンチテーゼとしてのJリーグ」は主要かつ重要なテーマでした。企業基盤と地域基盤が混在するプロ野球との差別化を図るため、Jリーグ博報堂は、誰にでもわかりやすい「地域密着」という言葉を編み出し、川淵三郎という稀代の「名優」の口を通して世間へ強烈にアピールしたのです。その効果は絶大でした。全国に「地域密着」信者がたくさん生まれました。かくいう自分も例外ではありませんでしたけど(^_^;)


一方プロ野球に目を向けると、地域基盤への志向は一旦ストップしてしまいます。なぜか?各球団の地域基盤化が進むことにより、それまで全国区球団としてプロ野球の中心にいた読売球団の相対的立場が急速に低下してしまったからです。1992年頃には読売球団の埋没化がハッキリ見られました。この事態を打開するために断行されたのが、長嶋茂雄の読売監督就任です。長嶋人気のおかげで、読売球団は、かりそめの見せかけ人気を回復し、一見、プロ野球の人気が復活したように見えました。その結果、プロ野球は改革の時計を10年以上先送りすることになり、2004年のプロ野球危機に帰結したのです。ハッキリ言います。あのプロ野球危機を招いたのは、長嶋茂雄その人に他なりません。プロ野球に全国的人気を与えたのも長嶋、その人気を奪い去ったのも長嶋。ポスト長嶋を迎えたプロ野球はようやく今、長嶋の呪縛から逃れて、新しいプロ野球へ生まれ変わろうとしています。長らく望まれていた札幌や仙台へのプロ野球クラブ設置はポスト長嶋時代になってから、という事実が全てを物語っています。プロ野球の未来は、今、始まったばかりなのです。


調子に乗ってプロ野球の話をしすぎました。
話を「地域一体」「地域基盤」に戻します。

≪「地域密着」から「地域一体」「地域基盤」へ≫

レノファ山口FCは、その当初から山口県代表を標榜するクラブとして発足しました。そう、レノファは山口県という地域を土台として生まれてきたクラブなのです。県選出国会議員が政治分野での山口県代表であるように、レノファはサッカー分野での山口県代表です。山口県があって、レノファがある。山口県なしのレノファはあり得ない。


だからレノファを「地域密着」型クラブという甘っちょろい言葉で表すことは正しくなく、「地域一体」型クラブ、または「地域基盤」型クラブと呼ぶべきなのです*1

≪レノファを応援するワケ≫

自分がレノファを応援する理由はココにあります。
サッカーが好きだからレノファを応援しているのではありません*2山口県が好きだから(その代表である)レノファを応援しているンです。だから、欲を言えば、バレーの山口県代表を標榜する「きらら山口ファイティングスターズ(→公式サイト→公式ブログ)」とかもぜひ応援したいと思ってます。(残念ながら、試合日程がレノファとかぶることが多く、まだ一度も応援に行ったことがありません。)

山口県でもいつか…≫

FC東京東京ヴェルディがサッカーだけでなく、バレーボールチームも保有していることを皆さんは御存知でしょうか?現在、両チームはVチャレンジリーグでしのぎを削っており、「FC東京×東京ヴェルディ」の東京ダービーは日本バレーボール界でも一番熱いカードとして知られています。両サポーターは、地域の誇りをかけて、競技種目を飛び越えて応援しています。だから熱くて楽しい!


山口県でも、サッカーのレノファ戦に大観衆が駆けつけ、バレーのファイティングスターズ戦にも大観衆が駆けつけ、ラグビーの維新クラブ戦に大観衆が駆けつけ、ヨット競技でも光セーリングクラブの応援に大観衆が駆けつける……、という日が早く来て欲しいものです。そんな山口県になれば、間違いなく楽しいハズと思うのですが、いかがでしょ?

*1:もちろん、今の時点でレノファを「地域一体」「地域基盤」型と呼ぶにはまだ早いかも知れません。しかし、そう呼ばれるべき資格と生い立ちをレノファは有しています。

*2:もちろん、サッカーは好きです。