山口県サッカー教員団からレノファ山口FCへ新生したのは2006年春のこと。せっかくのレノファ1年目でしたが、自分は1試合も見ずじまいでした。そんな2007年3月のある日のこと、職場で残業していると隣の女性が言うのです。
「私は旦那とたまにレノファの試合見に行ったよー」。
自分の負けず魂に火がついたのはこのときです。
「隣の女性に負けてらんねー」
さっそくレノファの公式サイトを見てみると、4/15の開幕戦でレプリカユニフォーム(18,000円くらいだったか)を販売するとのお知らせが載ってました。まず何事も形から入る自分は、妻に内緒のヘソクリでレプリカユニフォームを購入し、記念すべきレノファ応援第1試合目をかざったのでした。
試合会場は維新公園ラグビー・サッカー場。
レノファには既に声出しサポーターの方々が何人かおられ、勝手に混ぜてもらいました。サッカーの声出し応援なんて10数年前、横浜市民だったころにマリノスサポをやってたとき以来のことです。久々の声出しは爽快。やっぱスポーツ観戦はテレビよりも青空の下に限るね。オープンエア万歳。
で、試合は残念ながら引分に終わりましたが→詳しくはこちら(公式)、9番尾崎ヒカルの鋭いサイドアタックを中心とするレノファサッカーは魅力十分な内容であり、また見に来ようと思えるものでした。